シリーズ企画「平成生まれの世代に知っていただきたい31人の輝かしきレジェンド達(29)〜“ブルースの女王”と称された大ベテラン女性歌手・淡谷(あわや)のり子さん〜」

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今回のシリーズ企画でお届けするのは、前回取り上げた三波春夫さんと同じく、昭和の時代の歌謡界を牽引しながら、若手歌手に対する自分の思いを率直に話す毒舌なキャラクターでもあった大ベテラン歌手・淡谷(あわや)のり子さん(1907年生まれ)です。

平成生まれの方々にとっては、おそらく物まねタレントのコロッケさんが、物まね番組の中でしばしば彼女の真似をするのをテレビで見て、それで彼女の存在を知っているという方も多いかもしれませんね。

そんな淡谷(あわや)のり子さんは、1907年(明治40年)に青森市の豪商「大五阿波屋」の長女として生まれるも、3年後の1910年(明治43年)に起こった青森市の大火により、生家が没落。
後に実家が破産したのを機に、通っていた高等女学校を中退して、家族で上京するという波乱の人生を歩まれているのです。

その後、東京音楽学校(後の東京芸術大学)へ入学し、ピアノ科に籍を置くも、声質の良さを見い出されて声楽科に編入したそうですから、当時から抜きん出た声楽の素質がおありだったのでしょう。

とはいえ、家計が苦しかったことから、いったん休学して絵画のモデルをしながら生計を立てていた時期もあったそうです。

そんな紆余曲折を経て、復学後は同校を首席で卒業されたのですから、本当に凄い!!
何しろ、在学中はオペラ歌手を目指してクラシックの基礎を積まれていたわけですから…。

卒業後は同校の研究科に籍を置くも、クラシック歌手として活躍するには、家計が成り立たないからとの理由で、流行歌手としてやっていくことを決断した淡谷(あわや)さん。

そんな彼女が一躍人気歌手となるきっかけとなったのが、日中戦争が開戦した1937年(昭和12年)に発売されたレコード「別れのブルース」でした。

それまでは「10年に1度のソプラノ歌手」と称されるほどの高い評価を得ていた彼女でしたが、この曲をレコーディングするに当たり、それまで吸ったことのないタバコを何本も吹かしてガラガラ声となり、ソプラノ・ボイスからアルト・ボイスへと声を潰すことになったのです。
これも、レコーディングの際に求められたことだったそうですが、ご本人はかなり抵抗されたのだとか。

しかしながら、同曲はご本人の抵抗をよそに大ヒットし、さらに翌年(昭和13年)に発売された「雨のブルース」も大ヒットしたことから、“ブルースの女王”と称されるまでになるも、やはりご本人は、この称号が嫌いだったそうです。

やがて、太平洋戦争開戦と共に各地で慰問活動を行うようになった淡谷さんでしたが、ご本人が“お洒落”に対するこだわりが強かったのか、戦時中にもかかわらず国民服にモンペ姿で歌うことを好まず、慰問の際は常にパーマにドレス姿という出で立ちだったそうで、最後まで自分のポリシーを貫くという点では、非常に意志の強い方だったのでしょう。

戦後は“ファルセット唱法”の歌い方(よくコロッケさんが物真似している、あの歌唱法)になるも、もともと声楽科を首席で卒業されるほど歌の基礎がしっかりしていらっしゃるだけに、私がテレビで見かけるようになった頃(晩年の時期)の彼女の歌唱力も全く衰えておらず、凄い方でした。

それ故に、テレビでは若手歌手への批判も容赦なくされたり、ご本人の嫌いな歌手に対しても「満月満月さんは大嫌い。」などと率直に仰っていたりもしましたが、今の時代なら明らかに“ネット炎上”の元になりそうな発言もありましたね。

その一方で、一部の歌手に対する評価は非常に高かったのですが、それはやはり、淡谷(あわや)さん自身が歌の基礎がしっかりされているだけに、重みが感じられる発言力であった証拠でしょう。

そんな彼女は勿論「NHK紅白歌合戦」にも出場歴があり、昭和20年代から昭和30年代にかけて、9回連続出場していらっしゃいます。
けれども、それ以降は「NHK思い出のメロディー」などの“懐メロ番組”への出演の他、バラエティー番組への出演や、テレビのオーディション番組での審査員として知られるようになっていきます。

ちなみに、私が子供の頃(平成初期の頃)には、物まね番組で審査員を務める淡谷(あわや)さんの姿が印象的でしたが、その時はいつも、コロッケさんが物真似する時に大笑いしていて、コロッケさんに対する評価はかなり高かったのに、清水アキラさんが物真似する時はいつも怖い顔をしていて、清水さんに対する評価がかなり低かったことが、子供心にも「何でなのかな〜?」と思っていたものです。

こんなふうに、ちょっぴりコミカルな一面がありながらも、「NHK思い出のメロディー」で懐かしの名曲を披露される時の彼女は「これぞ歌手!!」といった感じで、決して他の人を寄せ付けない雰囲気が、子供心にもカッコ良く感じて、小学生の頃には既に彼女のことをリスペクトしていたほどです。

けれども、戦前から活動を共にしてきた作曲家の服部良一先生や、歌手の藤山一郎さんが相次いで亡くなられた1993年に彼女も病に倒れ、その辺りから徐々にテレビへの露出が減っていくようになって、私も淋しく感じたものです。

ただ、その3年後の1996年に米寿を迎えた彼女のために、後輩歌手の方々によって「米寿記念コンサート」が開かれ、その時の様子を私自身もテレビで見ていましたが、この時に森進一さんと美川憲一さんに、自分の持ち歌である「別れのブルース」と「雨のブルース」を「どうぞ歌い継いでください。」と仰っていた記憶があります。

それから3年経った1999年9月に、淡谷(あわや)のり子さんは92歳の大往生を遂げられました。
亡くなる6年前にご病気となられて以降、テレビへの復帰は叶わぬままとなりましたが、現在も物まねタレントのコロッケさんが、時折テレビで彼女の物真似をしてくださるので、若年層にも認知度・知名度が高くなってきているのは嬉しい限りです。

平成生まれの方々には、コロッケさんの物真似だけでなく、出来れば淡谷(あわや)のり子さんご本人の歌唱映像をYouTubeで探し出して、ぜひ1度ご覧いただきたいものです。
本当にずば抜けた歌唱力の方ですから、思わず圧倒されると思いますよ。

私自身、今後もコロッケさんによる彼女の物真似をテレビで見るたびに、在りし日のご本人の姿を思い出すことでしょう。

さて、次はどんなレジェンドを取り上げようかな?
どうぞお楽しみに…。

私ハッスル・レディーと、晩年は物まね番組の審査員としての活躍やバラエティー番組への露出が目立つも、基礎がしっかりとした歌い方で生涯歌唱力が衰えることなく「歌ひとすじ」に生きた歌謡界のレジェンド・淡谷(あわや)のり子さんとの、素晴らしき出会いに…乾杯!!

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